ツーリズム論

真夏の墓地で、異界の案内人(ガイド)と会った話

 気温三十五度をこえる猛暑の日、陽炎の立つ道を東京・谷中墓地へ向かった。
 ここに眠る横山大観の墓参を果たすためである。
 ここ数年、岡倉天心とその弟子・大観の逆境とのたたかいに共感し、いつか墓参しようと思い続けていた。
 目当ての場所をうろうろしていると、突然「何かお探しかな」と、木々のなかから人が現れた。場所が場所だけに、現世の人かあの世の人か一瞬とまどったが、大観の墓参にと話すと、ご案内いただけるという。
 おかげで大観の墓参をすますと、時間が許せばいろいろご案内しますよと微笑む。年の頃六十半ば過ぎだろうか。もしかして退屈しているシニアかとも思い、こちらがボランティアのつもりでお付き合いしようかと考えた。ところが道々、佐佐木信綱(歌人)や鳩山一郎(政治家)、色川武大(作家)などなど、きら星たちの墓を案内いただきながら、ネットのどこを調べても出てこないような墓にまつわる蘊蓄まで、その博識に恐れ入った。退職してボランティアで谷中墓地を案内しているそうだが、近くで生まれ、子供のころは墓地がかくれんぼの場所で、誰の墓がどこにあるか、その由来は何か、たいがい頭に入っているのだそうだ。
 明治期の自由民権運動に関心があると話し、一度来たかった加波山事件の刑死者の墓にも詣でた。
 田中正造がこのとき一緒に捕まったこと、蜂起したなかの子供たちは許されて釈放されたことなど、彼の口からは、すらすらと出てくる。
 福地源一郎(櫻痴)の墓の前で、知ってるかと聞くので、「櫻痴ですね、明治のジャーナリストだ」と答えると、「自分が案内するときにはここに連れてきて、櫻痴を知っていればその後しっかり案内するが、知らなければその後は手抜きをするんだ」と笑う。私はかろうじて合格したらしい。
 それではと案内されたのが、稲垣千穎(ちかい)の墓である。蛍の光の作詞者で、君が代の補作をしたとも言われる千穎の墓に司馬遼太郎を案内したとき、司馬さんはすぐに誰か分かったそうだ。「司馬さんの博識はすごかったね。知らないことがなかった」と聞いて、司馬遼太郎を案内した方に案内してもらう方がすごいのではと、冷や汗がながれた。
 谷中墓地を後にし、坂を下って岡倉天心旧居跡の公園で一服した。
 大観の筆になる「谷中鶯」の碑をながめながら、まるで現実ではない真夏の白昼夢のような感覚があった。どうお礼をしようかと思ったが、ついに名前も教えてくれなかった。墓地はあの世とこの世の境界というが、ひょっこりあちら側からきたいたずらなお父さんかもしれないと可笑しくなった。
 私のように、墓詣でをする「墓マイラー」は少なくないそうだ。これもツーリズムのひとつとすると、案内人の凄さとの出会いは、旅の醍醐味である。案内人とは、そこに生きる誇り高き、無名の存在である。もっとも大切な、無名の人である。

(森影 依 「北海道町村会報」2013年11月号 掲載)